人物相関図。

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錬金術師サン=ジェルマン

 

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生年月日不明。
本名不明。
国籍不明。

今現在も生きている説まである歴史上最も謎に満ちた神秘的人物の一人。
マンガでも小説でも人気の人物である。

ルイ十五世と愛妾ポンパドール夫人の信認を得て
宮廷付き錬金術師となる。
公開実験などを行い、貴族達への科学知識や哲学の知識浸透とひきかえに、
王に庇護され、生活の面倒をみてもらうという
当時の錬金術師としてはとても恵まれた立場になる。

ルイ十五世からシャンボール城をもらい、化学実験をおこなうが
これは景気回復策のひとつ、
ラシャ工業の繁栄の実験のためだったともいわれている。

優れたヴァイオリニストで、類まれな画才があり、
語学が堪能だったといわれている。

ダイヤの傷を消し、
不老不死の妙薬を作ることができるといわれ、
貴族を相手に宮廷で薬品や顔クリームを売っていた。

オランダ大使に任命されているが
ルイ十五世のスパイであったという説もある。

ナポレオン三世がサンジェルマン伯爵について興味を持ち、
足跡を追うが、彼についての文書は
パリ・コミューンの戦火で廃塵に帰してしまう。

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アレッサンドロ・ディ・カリオストロ(1743 – 1795)

本名はジョゼッペ・バルサモ。シチリア生まれの錬金術師。

カリオストロの生涯を描いた映画は半ダース、
アニメ、漫画、大衆小説、ポップミュージックやオペラに
登場する人気の高い神秘的人物。

「カリオストロの城」「カリオストロ伯爵夫人」など
彼の子孫を描いた作品で、日本での知名度も高い。

十年にわたってヨーロッパ中をめぐり、
魔術の技を見せ、貧しい人々を癒し、
フリーメイソンの支部をいくつもつくった。

二十二歳でマルタ島へ渡り、
キリスト教の病気を治療する施設「聖ヨハネ騎士団救護所」で働く。
薬剤師としての技能を買われ、
ドン・マヌエルの錬金術大研究所の隣に部屋を与えられる。

その後、南フランスやスペイン、ポルトガルを放浪し、
魔法の伝説を見聞きし、魔術師に対しての興味が芽生える。

中でも、とくに、彼よりも少し年上であるサン=ジェルマン伯爵の
幻想的な物語に感心したといわれている。

ギリシア人錬金術師アルトタスに師事したという説もある。

宮廷から財産を取り戻そうとする女性、
ジャンヌ・ドラモット・ヴァロアが
ルイ・ド・ロアン枢機卿の後ろ盾を得ようと仕組んだ
マリー・アントワネットの王室スキャンダル事件、
俗にいう「首飾り事件」の協力者の一人。

マカロニ好きで、
独房にマカロニが差し入れされると
機嫌を良くしたというエピソードがある。

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ジョバンニ=ジャコモ=カサノヴァ(1725 – 1798)

ヴェネチィア共和国出身の作家。
ロココの世紀のヒーロー的存在。
自由と享楽を愛した世界的冒険家。

好色で波乱に満ちた家系に生まれ
ドン・ファンは六代前の先祖にあたる。

病気がちな子供時代を過ごす。
八歳の時、止まらなくなった鼻血を
「ムラーノの魔女」に治してもらった事がきっかけで
生涯通じて魔法の存在を強く信じる。

「青少年をたぶらかしている。」
「高官との交際や貴族に保護をうけている特権を利用して
賭博でつくった借金の穴埋めしている。」
と噂をたてられ、「鉛の監獄」に収監されるが、
脱出不可能といわれた監獄からの脱獄を成功させる。

脱獄後、着の身着のままパリへ向かい、
ルイ十五世暗殺未遂「ダミアン事件」の日に入市。

魔術師であり、カサノヴァの保護者であった
デュルフェ公爵夫人の屋敷でサン=ジェルマン伯爵と出会う。

策術家として使っていた「ド・サンガール」という偽名は
サン=ジェルマンを意識したものといわれている。
晩年に執筆された代表的自伝
『カサノヴァ回想録』は大ベストセラーで、
とくに「脱獄の巻」は一ダースあまりの国語に翻訳されている。

フランスを愛し、
『回想録』はフランス語で執筆する。

回想録に登場する女性の名前は百十六人におよぶ。

美食家で、
サン・サムエーレの教会での説教のおり、
食べ過ぎて教壇で失神したエピソードがある。

ヴェニス市のシンボルキャラクターであり、
現在でも謝肉祭カルナヴァーレの花形となっている。

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アリエット

サン=ジェルマン伯爵の弟子 。

※この作品ではハンガリー人という設定になっているが
それは『カサノヴァ回想録』にある
「カサノヴァがある宿でサン=ジェルマン伯爵と出会った際に
ハンガリー風の身のこなしの従僕を連れていた」
という描写から創作したもので
史実のものではない。

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ルイⅩⅤ・ド・フランス(1710 – 1774)

政治に無関心で、寵臣や愛妾に執務をまかせ、
七年戦争でアメリカの権益を失い、財政を切迫させ、
フランス革命の直接的な原因となった人物。

最も偉大な君主の一人とされる太陽王ルイ十四世は曽祖父にあたり、
フランス革命で断頭台に登ったルイ十六世は孫にあたる。

五歳半で即位し
十三歳までオルレアン公が摂政となり、
十五歳で元ポーランド王でロレーヌ公の娘マリー・レクジンスカと結婚。
「最愛王」の呼び名で親しまれる。

宮廷の人間からは「生きる疑問符」と呼ばれ
親しい寵臣ですら「何を考えているか解らない人」ともらすほど
秘密主義の人物であったとされる。
「王の機密局(スクル・ド・ロワ)」を作り
国内外の情報を収集していたといわれている。

趣味は狩猟、
スパイとやり取りするための暗号作り。
お菓子作り、レース編み。
コーヒーを愛好し、いくつかの店をパリに開店させている。
カードに興じ、トランプゲーム「コメット」を考案したといわれている。

フォンテンブローの森にハレムにあたる「鹿苑」を開設。

政治はすべて愛妾ポンパドール夫人と大臣ショワズールに
まかせっきりだったといわれ、
おこなった事業は数少ない。

「ルイ十五世広場(現在のコンコルド広場)」は
ルイ十五世の命で造られたものである。

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マリー・レクジンスカ(1703 – 1768)

フランス王ルイ十五世の妃。
父はポーランド王スタニスワフ・レシチニスキ、母は王妃カタージナ・オパリンスカ。

読書と音楽を愛する
信心深い教養豊かな女性であった。

十人の子供をもうけ、うち八人が彼女より先に亡くなっている。

髑髏(ベル・ミニョンヌ)をレースや頭巾やリボンで飾る趣味があり
有名人の髑髏を持っていることが自慢であった。

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オルレアン公

オルレアン家はブルボン王家の傍系。
歴史上何度かフランスの王座についているが、
「オルレアン」といえば陰謀をたくらんだり、
民衆を集めて堂々と王家を批判したり、
国王の影というイメージが濃い。

十八世紀後半のオルレアン公を
下記にまとめる。

ルイ十五世在命中のオルレアン公
フィリップ二世

ルイ・ド・ブルボン

ルイ・フィリップ一世

ルイ・フィリップ二世

ルイ・フィリップ

フィリップ二世はルイ十五世摂政オルレアン公。
「ベルサイユのばら」のオルレアン公はルイ・フィリップ二世。

摂政オルレアン公は「陰謀のプリンス」で、
化学の実験室を持っていたため、
魔術を使い毒をもてあそんだといわれている。

ルイ・フィリップ二世は王位を狙う野心家で宮廷と対立し、
革命の指導者であり’エガリテ’(平等のフィリップという意味)と呼ばれ
パレ・ロワイヤルを民衆に開放する反国王派。
「ベルばら」では
その居城が怪盗黒騎士のアジトになっている。

執拗に王座を狙う弟ガストン・オルレアンに悩んだルイ十三世が
二人目の王子フィリップを女装させて育てたという話も残っている。
この陰謀と奸計のために疑心暗鬼となり双子として生まれた王子の片割れを幽閉した
という「バスチーユ監獄の鉄化面」の話はあまりに有名。

シュヴァリエというアニメに出てくるオルレアン公はちょっとミステリーで、
EDに実在人物の年号が出ていてオルレアン公は(1703~1785)になっている。
調べてみたところ、この年号と一致するオルレアン公は存在しない。
おそらくこれは架空の人物で
ルイ・ド・ブルボン(1703~1752)、ルイ・フィリップ一世(1725~1785)
の混合オルレアン公ではないかと思われる。

イギリスとの戦争に勝利したにもかかわらず火炙りに処された
聖女ジャンヌ・ダルクは「オルレアンの乙女」と呼ばれている。
オルレアンの響きにはどことなく影が付きまとっているようだ。

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マルキ・ド・サド(1740 – 1814)

フランス革命期の作家。
本名ドナティアン・アルフォンス=フランスワ・ド・サド。侯爵。
サディズムの語源となった人物。

十歳でイエズス会のアルクール中学校に入学。
七年戦争勃発で軍隊に送られ
十五歳で近衛歩兵隊無給少尉の位、
十六歳でプワイヤンヌ公爵指揮のプロヴァンス伯銃騎連隊の隊旗を引き受ける。
十七歳から二十三歳は優秀な大尉となる。

結婚後、
女性を監禁、鞭打ちする、毒を盛るなどの行為で投獄される。

生涯幾度も収監、脱獄を繰り返し、
バスティーユ牢獄では「自由の塔」三階独房に幽閉。

『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』など、
多数の長編小説をバスティーユ獄中で執筆する。

筆跡は綺麗で、
第一稿は略字を使用し、
すさまじいスピードで、修正なしで書く習慣があったとされる。

愛国主義者で、フランス革命後に護送されるルイ十六世のベルリン馬車に
「王妃と別れるように。」という手紙を投げ込ませたという説もある。

フランス革命で破壊されたバスティーユからの脱獄を試みるが失敗し、
ギロチンは免れるがその後、
修道院や僧院、療養所をたらい回しにされ、
シャラントン精神病院に移送、そこで没する。
生涯の三十年を獄中で過ごした作家である。

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サンドイッチ伯爵(1718 – 1792)

イギリスの第四代サンドイッチ伯爵ジョン・モンタギュー。
軽食サンドイッチの語源となった人物といわれている。
大変な賭博狂で、食事をとるひまも惜しんで賭博台にしがみつく生活から
「二枚のパンの間に焼肉を挟む」というローマ風の食べ方をしたため、
それが流行となって名が後世に残ったといわれいる。

しかし
サンドイッチ片手に賭博台にしがみつく姿は
ロンドンのあるガイドブックが流した噂話で、
実際、伯爵は多忙な海軍大臣だったため
海軍、政治、芸術に大忙しで、執務に追われてサンドイッチを食べた
というのが今日の説のようである。

サンドイッチ伯爵は、キャプテン・クックの太平洋探検の有力な支持者で、
ハワイ諸島の「サンドウィッチ諸島」は伯爵の名にちなんだものである。

十八世紀に実在したイギリスの秘密結社「地獄の火クラブ」の
中心人物の一人だったといわれている。

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デオン・ド・ボーモン(1728 – 1810)

通称シュバリエ・デオン、
洗礼名シャルル=ジュヌヴィエーヴ=ルイ・オーギュスト=アンドレ=ティモテ=デオン=ド・ボーモン。

生涯を女装して過ごした剣士。

生まれつきの華奢な体と、
フェンシングの才能、二十歳で博士号を取得する頭脳で
ルイ十五世のスパイとして活躍する。

ルイ十五世設立の「機密局(スクル・ド・ロワ)」に参加、
ロシア外交官としてダグラス・マッケンジーとともに
「マドモアゼル・リア・ド・ボーモン」の偽名で女装し、
サンクト・ペテルブルグに出発。

領地拡大を目指していたフランス政府の意向で、
女帝エリザベータに密書を手渡し、
ロシアとの同盟を成功させる。

三度のロシア行きのあと
竜輝兵連帯隊長に任命される。

ロンドンにはニヴェルネ公爵の秘書として出発し、
パリ条約を成立させる。
全権大使として十四年ロンドンに滞在する。

帰仏したさいには
ルイ十六世から女性以外の服装を禁じられ、
聖女ウルスラの祝祭日に「永遠に女性になる儀式」がおこなわれる。

「カサノヴァ回想録」によると
カサノヴァは最後までデオンを女性と信じて疑わなかったという。

フランス革命後も
たくましく時代を生き抜き、太刀衰えることなく、
ロンドン最強の剣士サン=ジョルジュとの果し合いに勝利する。

晩年はイギリスに亡命、
死亡確認の神父と外科医たちの検証によって
男性であることが発見される。

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サン=ジョルジュ(1739~1799)

ヴァイオリン奏者、作曲家であり「№1」といわれた剣の腕の持ち主。
騎士の父親と黒人奴隷であった母を持つ。

パリのギャラントな様式を作風とし、
ロココの時代、黒人として初の古典派音楽を確立する。
その作風から「モーツァルト・ノワール(黒いモーツアルト)」と呼ばれ、
独自の才能は高く評価されている。

フェンシングの名士としても知られ、
真冬のセーヌ川を片手で渡ったという逸話、
革命期には1000人の黒人部隊を率いたという逸話も残っている。
晩年のシュヴァリエ・デオンと
史上最強の剣士の名をかけてロンドンで決闘するが、
女装してあらわれたデオンに完敗してしまう。